尤敏在日本4 (再会 その後) 参




引退後、尤敏はごく稀に公の場へ姿を現すこともありましたが、華やかな世界からは距離を置き、高太(高夫人)として、また3人の子供たちの母親として、静かな生活を送りました。

1995年3月、尤敏と同時期に電懋で活躍した女優・林翠(1936〜95。2番目の夫だった王羽〔ジミー・ウォング〕との間の娘が、現在タレントとして活躍中の王馨平〔リンダ・ウォン〕)の葬儀に参列したのが、公式の場に姿を見せた最後となりました。

1996年12月29日午前8時15分(香港時間)、尤敏は心臓病のため香港港安病院で永遠の眠りにつきました。享年60歳でした。

尤敏の死から2日後の12月31日、香港の新聞に彼女の死亡記事が掲載されました。

それによると、尤敏は亡くなる2ヶ月前にも健康を害して入院、この時、海外に住んでいた子供たちも香港へ呼ばれたそうですが、幸い事なきを得たので、子供たちもそれぞれの家へ帰っていたのだそうです。
しかし、退院後も健康状態は優れなかったようです。
亡くなる前夜、尤敏は心臓に異常を覚えた(不整脈の持病があったそうです)もののそのまま就寝、ところが、翌朝になっても症状が治まらないため、救急車で病院に搬送されましたが、間に合いませんでした。

引退から既に30年以上の歳月が経過していたため、新聞(『明報』)に掲載された彼女の経歴には、ところどころに誤りが見られます(『無語問蒼天』〔1961年〕でアジア映画祭主演女優賞を得た、等)。
テレビ番組(『城市追撃』・TVB)でも、実際には出演していない映画(『四千金』)を出演作品として紹介していたようです。

年が明けた1997年元旦、日本の新聞(『毎日』・『朝日』)にも、共同通信が配信した尤敏の訃報がひっそりと載りました。

尤敏さん(ゆう・びん〔『朝日』ではヨウ・ミン〕=香港の女優)
31日付香港各紙によると、29日、心臓病のため香港の病院で死去、61歳(原文ママ)。
59年の「玉女私情」と「家有喜事」で、アジア映画祭(日本で開催)の最優秀主演女優賞を受賞。「香港の夜」で宝田明と共演、三船敏郎との共演作品も上映され、日本でも人気を集めた。
64年にマカオの富豪と結婚し引退した。(共同)
(1月1日付 『毎日新聞』及び『朝日新聞』。『朝日』には最後の1行なし)

ここでも、彼女の経歴が間違って伝えられています(くわしくは、付記参照)。

1月8日午前10時から香港殯儀館大礼堂で葬儀が営まれ、午前11時に出棺、尤敏の遺体は荼毘に付されました。

近年、1950年代から60年代にかけての香港映画を見直す機運がようやく高まり、尤敏の映画も上映される機会が多くなってきているようです。
幸いなことに、電懋時代の名作の数々も、これから続々とDVD(VCD)化される予定です。

時がどんなに過ぎ去ったとしても、3度の主演女優賞に輝いた名女優として、また、日本で最初に成功した香港明星として、彼女の業績は永遠に輝き続けることでしょう。(了)


付記:『玉女私情』で、1959年、クアラルンプールで開催されたアジア映画祭で主演女優賞を受賞、翌年、今度は『家有喜事』で、再度主演女優賞を受賞しています。

本稿は、2003年7月4日から30日にかけて女将の日記サイト「せんきちの日々是口実」に掲載した「元祖ユーミン」を改題、加筆・訂正したものです。



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