尤敏在日本4 (再会 その後) 弐




1964年3月、『深宮怨』(旧題『董小宛』・写真)の撮影を終えた尤敏は、4月にロンドンで高福球と結婚、半年間の予定で新婚旅行に出発します。
しかし、旅行中に、電懋のオーナーである陸運濤の飛行機事故死や、よき友であった女優・林黛の自死というアクシデントが発生、結局8月1日に香港に帰ることとなります。

そして帰国後、尤敏が映画界に戻ることはありませんでした。

尤敏が出演するはずだった東宝の『再会』はお蔵入りとなり、電懋の『最長的一夜』は、樂蒂をヒロインに据えて1964年に製作(公開は1965年)、宝田明が日本人従軍記者(少尉)役で共演しています。

ところで、尤敏の結婚・引退に関して、最近、宝田明がこんなエピソードを明かしています。
少し長くなりますが、引用してみましょう。

宝田 尤敏とは同じ年代でしたし、男と女というより僕は妹みたいな気持ちでいたし、彼女も僕を何でも言える相手と思っていてくれたのでしょう。それで『ホノルル・東京・香港』の撮影でハワイに行ったとき、次の映画、来年もあるなという話をしていました。その後撮影の休みで香港に帰った彼女がまた日本に来て、ちょっと話があるから帝国ホテルに来てくれと・・・・これは私的なことですが、もう彼女も亡くなられたからいいと思うのですが、「自分と結婚する意志があるか」と言われたのです。

−尤敏さんから?

宝田 はい。で、「いや、俺はまだちょっと仕事をしなきゃいけない」と(笑)。何でそんなことを急に言い出すのかと聞いたら、香港に帰ったときにパーティである方に会って、プロポーズされたと。それはいいじゃないかと・・・・内心は面白くなかったですが(笑)。相手はというと、長く英国に留学して建築の勉強をして、香港映画界のことはよくわからない方で、パーティで会ってプロポーズしてきた。家柄はと聞いたら、マカオの公営賭博場総元締めの御曹司、ミスター高だと言うのです。それで僕は「結婚しろ!」(笑)と。
その人と結婚して、あなたがもしやる気があるなら”一年一部、両年一部(1年か2年に1本)”でいいから映画に出なさい、と言いました。彼女も、あなたがそういうのならと了解して、『ホノルル・東京・香港』が終った後、もう次の作品は止める、と東宝に言ったそうです。東宝の重役からは、「宝田、お前が何か悪いことをしたから、彼女は傷心の思いで帰国したんだろう」と言われました(笑)。僕は彼女の結婚のことは、東宝には絶対内緒にしたのです。そんないきさつで、幻の第4部になりました。

−尤敏さんの結婚引退は、キャセイにとっては、かなり打撃だったそうです。

宝田 そうですか。もし僕がちょっかいを出して結婚なんてしていたら、彼女は香港に帰れないくらいのことになったかも知れない(笑)。(後略)
(「宝田明、香港三部作を語る」より。『香港映画の黄金時代 T』パンフレット所収)

なかなか興味深いエピソードですが、これまでに辿ってきた事実の流れから考えると、やや矛盾する部分も見られます。
しかし、いずれにせよ、40年も前の出来事であり、尤敏が既に天に召された今となっては、真相を確かめるすべはありません。



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