カメラマンをさがせ!






西本正さんの『香港への道』(2004年、筑摩書房)の中に、西本さんが再び香港入り(1960年)する前、別のカメラマンが邵氏に招かれたものの、うまくいかなかったというくだりがあります。
西本さんはこの方のお名前を伏せていますが、根が意地悪なわたくしは「いったい誰のことかしらん?」と思いつつ『邵氏電影初探』(2003年、香港電影資料館)巻末の作品リストを調べてみたところ、1958年12月31日公開の『玉女驚魂』(周詩禄監督。林鳳主演)で、広川(廣川)朝次郎が撮影を担当していることが判明しました。
おそらく、邵氏としてはカラーやシネスコといった最新の技術導入を目論んで招聘したのでしょうが、広川氏じたいは(日本では)1952年を最後に劇映画の撮影からは遠ざかっており、その点から考えると、(広川氏は)邵氏の要求に対して十分に応えうる人材ではなかったのかも知れません。
実は、広川氏のような大ベテランのスタッフを招くという試みは、この時期台湾映画界においても行われており、倉田文人(『東京尋妻記』〔1958〕)や田口哲(『太太我錯了』〔1958〕)岩澤庸徳(『阿蘭』〔1958〕)が招かれて作品を撮っています。

さらに、邵氏に関して言うと、西本さんに続いて柿田勇が招かれ、いくつかの作品の撮影を担当しているのですが、その柿田氏も一時期賀蘭山を名乗っていたという説があります。
すなわち、1961年の『燕子盗』(岳楓監督。林黛主演)での「賀蘭山」がそれで、『香港への道』において西本さんが「(自分が)撮影した」とおっしゃっているのに対して、「日本・香港映画交流年表(T)」(『香港映画の黄金時代T』所収。2002年、国際交流基金アジアセンター)では「柿田勇が岳楓監督の『燕子盗(The Swallow)』(邵氏)の撮影を担当」としています。
ちなみに、『邵氏電影初探』では西本説を採っていました。
柿田氏に対しては香港の研究者である邱淑〔女亭〕氏がかつてインタビューを行っており、それが公刊されればいろいろなことが分かると思うのですが、今のところ真相は藪の中です。

他にも、これまで西本さんが撮影したと言われていた『不了情』(1961年、陶秦監督。林黛主演)のカメラマンが実際のクレジットでは董紹詠だったり(注)、タイトルバックには名前の出てこない『風月奇譚』(1972年、李翰祥監督。貝蒂主演)の撮影を西本さんが「(自分が)担当した」と話していたり(クレジットは林華超)、まだまだわからないことだらけです。

ま、つまりはノンクレジットで撮影に関与していた、ということなのだとは思いますが、それとても単なる仮説に過ぎず(裏を取っていないので)、今後も地道な調査が必要ですね、はい(オチなし)。


(注)同様に、『千嬌百媚』(1962年、陶秦監督。林黛主演)も『香港への道』では西本さん撮影にしていますが、実際のクレジットでは高詩綿となっています。


(2004年12月8日記。2005年12月29日加筆改稿)




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