飛べ飛べ生首! 3
(『悪魔の生首』)

 


前置きが長くなりましたが、肝心の映画の内容はというと、因果応報的な怪談話で、「魔がさして(タイトルの『心魔』も、ここからきているらしいです)偽りの行為をすると、それがぜーんぶ自分の身にはね返ってくるからよう、ああ、くわばらくわばら」といったあんばいのご教訓ホラーに、エロ風味(脱ぎ&濡れ場)をドッキングさせたものでした。

見せ場の生首飛行場面では、唐(柯俊雄)のもとへ怨念が一極集中、唐なんかよりももっと悪い奴だったはずの第2夫人&従兄まで化けて出てきて曾夫婦(田俊、池玲子)に加勢するのですから、唐にとってはいい迷惑です。
裁判で偽証をした林家の使用人(呉家驤)は、何ともないんですからね。不思議です。

本作で池玲子が演じているのは、もちろんスケバン、ではなくて、猪の鹿お蝶、でもなくて、不幸な人妻。
金持ち若旦那とその親父にむりやり陵辱されるわ、夫は冤罪で死刑にされちゃうわ、自分は自殺に追い込まれちゃうわ、いいことが一つもありません。
もっとも、裁判における偽証場面では、若旦那を誘惑してコトに及ぶ浮気な人妻という全く正反対の人格を演じて、妖しいお色気を振りまいていました。
つまりは、薄幸と妖艶、この2つの面が同時に味わえる、ファンにとっては1粒で2度おいしい映画であると言えましょう。

また、その死後、亡霊となって化けて出る件での彼女が、死人のくせに(?)とても活き活きしていました。
髪梳きの場面なんか、本当に楽しんで演じています。
映画そのものはどうということのない小品ですが、池玲子ファンには見逃せない作品だと思います。
それから、個人的には、長く香港の北京語映画を支えてきた名脇役である歐陽莎菲(もとは主役級の女優さんでした)や呉家驤(映画監督でもあります)と池玲子が共に演技をしている、その光景自体が感動ものでした。

最後に、池玲子と柯俊雄のプロフィールをざっとご紹介しておきましょう。

池玲子(1954〜)は、杉本美樹(1953〜)と並ぶ東映ポルノ最大の女優。
1971年、『温泉みみず芸者』(鈴木則文監督)で、杉本と共にデビュー。
彼女を売り出すにあたり、東映はこれまで「5社製ピンク映画」「ハレンチ映画」等と呼ばれていたエロチックな映画に対する新しい呼称として「ポルノ映画」なる語を考案、池玲子を「日本初のポルノ女優」「ポルノ女優第1号」と名付けましたが、この作戦は見事に当たって彼女は一躍スターダムにのし上がり、この年の製作者協会新人賞を受賞します。
その後、一時期歌手への転向を目指すも失敗、再び映画界に戻って「女番長」シリーズや「恐怖女子高校」シリーズ、
『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』(共に1973)等に主演しました。
しかし、空手映画ブームの到来と共にその出番は減り始め、以降は脇に回っての仕事が多くなり、1977年には覚醒剤所持・使用、賭博容疑で逮捕されるといった事件も引き起こしました。
1979年、『黄金の犬』に出演の後、しばらくはテレビに出演していたようですが、やがて引退、現在は幸せな家庭生活を送っているそうです。

柯俊雄(クー・ジュンション、オー・ジョンホン・写真。1945〜)は、台湾が誇る「亞洲影帝」。
今村昌平監督の『女衒』(1987)にも出演していたので、ご存知の方も多いはずです。
中学卒業後、台湾語映画製作会社金獅影片公司にスタッフ兼エキストラとして入社。
退社後の1962年、台湾語映画『天字第一號』で主役を務め、1963年には香港の映画製作会社・電懋のオーディションに合格するものの、兵役の問題があったため結局香港へ渡ることはなく、そのまま台湾で俳優活動を続けました。
キャリア初期には台湾語映画で活躍していましたが、1965年以降は官製映画会社の中央電影公司に所属、北京語映画が中心となり、1968年、『寂莫的十七歳』(白景瑞監督)でアジア映画祭主演男優賞を受賞。
その後、台湾金馬奨も2度受賞するなど、名実共に台湾を代表する男優となりました。
香港映画にも数多く出演しています。
1970年、当時台湾で絶大な人気を誇っていた美人女優・張美瑶(1941〜)と結婚しますが、2004年12月に離婚しました。
その他の代表作には、『再見阿郎』『家在台北』(共に1970)、『梅花』(1975)、『愛有明天』(1977)、『黄埔軍魂』(1979)、『皇天后土』(1980)、『辛亥雙十』(1981)、『愛と復讐の挽歌(英雄好漢)』(1987)、『村と爆弾(稲草人)』(1988)、『奇蹟 ミラクル(奇蹟)』(1989)、『異域』(1990)、『炎の大捜査線(火焼島)』(1991)、『エンド・オブ・ザ・ロード(異域之末路英雄)』(1993)、『野店』(1994)等があります。
本作では、一見清廉潔白ですが、一皮剥くと単なるせこい裁判官を演じていました。
いかにも小悪党といった感じの薄ら笑みが、不気味でした。

ところで、この映画の興行成績ですが、1975年1月1日から8日間で48万1416香港ドルの興行収入をあげたものの、その年の興行ランキング44位という平凡な成績でした。
この程度の成績しか収められなかったことも、池の香港映画出演が単発に終った要因の一つになったのかも知れません。
何かもうちょっと違った傾向の作品も残してほしかったのですが。
残念です。(とりあえづ了)

主要参考文献・サイト:
『悪趣味邦画劇場』(『映画秘宝』Vol.2、1995年、洋泉社)
『中華電影完全データブック』(1997年、キネマ旬報社)
『東映ピンキー・バイオレンス 浪漫アルバム』(1999年、徳間書店)
『邵氏電影初探』(2003年、香港電影資料館)
暴動シネマ刑務所 (http://shibuya.cool.ne.jp/team_masa/index2.html)
Movieworld Hong Kong (http://www.movieworld.com.hk/zine/index.shtml)





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