樂蒂と幻の合作映画 2
(『香港旅情』)




では、いよいよ本題に入りましょう。

1961年8月、邵氏との提携を決めた東映は、同月29日、東映会館に邵氏の社長である邵逸夫(ランラン・ショウ)を招き、合作映画に関する会議を行いました。

その模様を報じた『日刊スポーツ』の記事(1961年8月30日付)によると、「1、年間2本以上の映画を合作。2、粗製濫造は避ける。3、時代劇は準備期間を長く必要とするので、初めは現代劇を製作。4、製作費は、日本で撮影の場合は東映、香港の場合は邵氏が負担。5、配給権は、日本国内は東映、東南アジア各地は邵氏が有するが、その他は両社で二分」との基本事項がまず定められ、その後に具体的な作品の検討に入ったようです。

作品の内容としては、

邵氏からの提案:
『桜都長恨』(太平洋戦争中の東京を舞台にした、香港人青年と日本人女性の悲恋物←『断鴻零雁記』の焼き直しのような話ですね:せんきち注)。
『紅鬚子』(満州を舞台にしたアクション物)。
『シンガポール、香港、東京』(パイロットとスチュワーデスが、日本や東南アジア各地で繰り広げる騒動を描いた喜劇。←でもこれ、電懋の『空中小姐』〔1959〕にそっくりなんですが:せんきち注)。

東映からの提案:
喜劇(東京で開催されたアジア大会で知り合った香港選手〔女性〕と日本選手〔男性〕。その後日本選手は香港に移住して、彼女と再会する)。
喜劇(香港のカメラマン〔女性〕と日本のカメラマン〔男性〕が、国際コンテスト入選を競い合う。そこへプレイボーイのカメラマンが現れて一悶着。2人の作品は落選、プレイボーイの作品が入選するが、入選写真は2人を被写体にした写真だった)。
その他、恋愛物と社会派ドラマ。

が、挙がりましたが、邵氏の提案が具体的なのに比べて、東映のそれはなんだか漠然としているのが気になります。今見ても、「本当にやる気があるのかなあ」と思ってしまいます。

結局、第1回作品は大林清の小説『紫の滑空路』を原作とした『香港旅情』に決まり、主役は樂蒂と高倉健、陳厚、三田佳子に決まりました。
そして1962年2月6日、新婚旅行で日本を訪れていた樂蒂と陳厚も出席して、東映本社で『香港旅情』の製作開始記者会見が行われました。


付記:『紫の滑空路』は、2月6日の記者会見の後、週刊誌上で連載が始まったそうですが(つまり、この映画のために書かれた原作だったわけですね)、どの週刊誌に掲載されたものか、いまだ判明していません。目下のところ、大捜索中です。



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