反共映画のはずが・・・・ 3
(『金門島にかける橋』)
日活と台湾(時代的なことを考えると、中華民国というべきなのでしょうが)の中央電影公司(中影)合作による反共映画・・・・のはずなのですが、この映画、ちっとも反共映画には見えません。
「戦争で一番被害をこうむるのは一般の国民だ」という二谷英明のセリフなんて、どう考えても共産党と国民党の両方を非難しているように聞こえます。
てなわけで、反共映画というよりは、戦乱に引き裂かれた男女の悲劇、しかもそれぞれの属する国家がかつては敵同士だった、という大河ロマン的色彩が濃い作
品です。そのせいかどうか、台湾公開のさいには日本公開バージョンとは違うバージョンが公開されたといいます(『海灣風雲(金門灣風雲)』・1963年公
開)。
この件について、左桂芳の「台湾電影微曦期與國際合作交流史(1900-1969)」(『跨界的香港電影』所収)には、「お互いの国の国情と政治状況に配
慮して、ラストシーンに二種類の台本を用意して撮影した」とあり、杜雲之の『中華民国電影史 下』には、「日本の新聞記者が金門を訪れ、中国人女性と恋に
落ちるが、その後、共産党が金門を砲撃し、日本人記者は死亡する。しかし、日本版では記者は死なずに中国人女性と結ばれる」との記述が見えます。
が、あらすじで触れた通り、石原裕次郎が扮しているのは医者であり、記者役は二谷英明です。それに、ラストで亡くなるのは華欣であり、裕次郎ではありません。また、念のためシナリオも調査しましたが、台湾版に関する記述はいっさいありませんでした。
一方、1963年初めに志村敏夫監督と共に台湾に招かれて、現地で2本の映画(『女真珠之挑戦』『愁風愁雨割心腸』)に出演して4月末に帰国した女優・前
田通子が、帰国時のインタビューで「日活の『金門島にかける橋』は微妙な国際問題がからんで、上映禁止になっていました」(1963年5月1日付『日刊ス
ポーツ』)と語っているところからみると、案外二通りの台本を用意して日本と台湾それぞれのバージョンを製作したのではなく、日本公開バージョンをそのま
ま台湾へ持ってきたものの待ったがかかり、急遽編集しなおして台湾バージョンを作ったのではないかとも思われます。
いずれにしても、その辺りのくわしい経緯は後ほどまた調べてみる予定です。
追記:その後に調査収集した資料を元に、拙ブログ上において上記の問題を再考してみました。こちらをご参照下されば幸いです。
出来上がった作品から類推するに、どうやら日活サイドは「戦時下の悲恋物語」を作ろうとし、中影サイドは「メロドラマに姿を借りた反共映画」を作ろうとしていたようですから、そもそもが「同床異夢」の企画だった気がします。
ですが、この内容でも日本人には国民党のプロパガンダ臭ぷんぷんに思えたらしく、当時の新聞に掲載された映画評には、「戦車やジェット機も参加する双十節
の威風堂々のパレードを撮り、国府軍艦船の協力を得て大規模な上陸作戦(?)もみせる。トリック撮影とはくらべものにならぬ迫力はあるが、人間と戦争とい
う永遠のテーマよりも、国府と中共という国際問題がナマの形で顔をだしているのは困りものだ」(1962年11月7日付『朝日新聞』夕刊)との評価が見え
ます(『読売新聞』の映画評もほぼ同じスタンス。『読売新聞』には、1954年の東京のシーンになぜか東京タワーが出てきた、とのとほほ批評もありまし
た)。
「他人の国の問題に、むやみやたらと首を突っ込むもんじゃない」というところですね。
さて、この映画で裕次郎は徹頭徹尾日本語を使い、台湾の俳優がそれにお付き合いして日本語で会話していますが、日本の植民地でもなかった金門島(日中戦争時には日本の占領地域でしたが)の人々や、大陸からやって来た国民党軍の兵士たち(通訳はともかく)が日本語を話すなんて、考えてみればおかしな話です。
日本人から見れば「台湾=昔は日本」という程度の認識で、そこが金門島であっても細かいことにはおかまいなし、だったのかも知れません。
しかも、大坂志郎なんか「大陸から共産党軍に追われて金門島にやってきた」なんていう自分の素性を、流暢な日本語で裕次郎に話してますし。日本人が憎いなら、日本語を話すことなど絶対にいやなはずなのに。
とはいえ、この映画に出てくる外省人は、「日本人が憎くてたまらない」と言いながらも、とりあえずは寛大なところを見せて、中華民族の偉大さをアピールしています。
とにかく、この映画に出てくるのはあくまでも中華民国と中国人であって、台湾的なものはいっさい排除されているにも関わらず、みんな日本語を話すものだか
ら、「あんたたち、いったいどこで日本語を覚えたんだー!?」という素朴な疑問が、ひたすら膨らんでいくばかりなのであります。
そして、なまじ言葉が通じちゃうもんだから、武井と麗春の愛の悲劇性も薄くなっちゃうんですね。「国籍や言葉の壁も乗り越えて燃え上がる二人の愛」の方が、ずっとドラマチックですもの。
この映画では、メインである武井と麗春の悲恋と平行して、武井の親友である松阪が武井の元恋人かおるに、また、麗春の婚約者である劉が麗春に寄せる愛情が
それぞれ描かれていますが、松阪のかおるへの慕情が丁寧に描かれているのに対して、麗春の本当の気持ちを知って自分から身を引こうとする劉の描き方が弱く
(というか、おざなり)、おいしいところはみんな二谷英明が持っていってしまっています。
おそらく、中影サイドとしては、勇敢で心優しい国民党兵士を出すべく劉の役柄を設定し、裕次郎演ずる武井と対峙させようとしたのでしょうが、その試みは残念ながら成功していません。
それから、島の人々が日本語を話すという素朴な疑問に関連して、もう一つ疑問に思ったのが、島には医者がいないのかということ。
海上で傷ついた漁師を武井が船内で手当てするというのはわかるのですが、島についてからも漁師の治療や麗春の弟の手術にてんてこまい。
国民党軍の軍医は診てくれないのか知らん?
付記:1962年2月11日付『報知新聞』掲載の記事(「裕次郎で五月台湾ロケ映画」)によると、日活の当初のプランでは映画のタイトルは『金門島の
星』、ストーリーは「第二次世界大戦を背景に留学生と現地民の女性の恋を描くメロドラマ」でした(なにゆえに、日本人留学生が戦時中に金門島に?)。それ
が、5月12日の合作契約締結時には『金門島の入江』(『金門島の嵐』とも)と改題、内容も第2次台湾海峡危機を背景にしたストーリーに変更されています
(『日刊スポーツ』5月14・15日付記事による)。
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