尤敏在日本4 (再会 その後) 壱




尤敏の東宝での次回作『再会』は、ヨーロッパを取材旅行中の写真家(宝田明)と、演奏旅行中の音楽家(尤敏。『日刊スポーツ』の報道ではピアニスト。ただし、『週刊平凡』の報道ではバイオリンを学ぶ音楽留学生)がスイスで出会い、そのときはお互い名乗らずに別れますが、日本でぐうぜん再会、愛をとるか芸術をとるか悩んだ末に、パリで別れるというもので、監督は丸山誠治、脚本は菊島隆三が担当しています(注)。

キャストは、4度目のコンビとなる宝田明の他、白川由美(雑誌編集者)、山村聰(カメラ会社社長)、淡島千景(バーのマダム)等の出演が予定されていました。

2人の出会いと別れの土地となるスイス(インターラーケン、ルツェルン)・パリの他、ハンブルグ、ウィーンで撮影を行なうという、従来の日本映画にはない本格的なヨーロッパ・ロケーションによる大作で、1963年2月にはすでに丸山と菊島がロケハンを済ませていました。

また、宝田の香港での人気に目をつけた電懋側も、尤敏の電懋での次回作『最長的一夜』(日本の報道では『長き夜』)に宝田を起用することを決定、宝田も前向きに出演を検討しています(『週刊平凡』による)。

8月に入り、香港を訪れた藤本真澄と田中友幸(『再会』プロデューサー)、丸山誠治に対して、尤敏は「ぜひ出たい」と表明、いったんは『再会』に出演することが決定しました(写真は、そのおり、啓徳空港で藤本を出迎える尤敏)。

しかしその後、『週刊平凡』の単独取材に応じた尤敏は、

「・・・・ぜひ出たいと、藤本さんにお伝えしましたが・・・・やっぱり、お断わりするつもりです・・・・」
とうつむき、
「ゴメンナサイ。でも日本へ・・・・ハネムーンで行きたいと思っています」(後略)
(「ユー・ミンの婚約者を追って」 『週刊平凡』1963年9月12日号)

と語り、28日に電懋を通して出演辞退の意向を東宝に伝えます。

8月31日付のスポーツ紙紙面には、

 ユー・ミン出演を辞退 「再会」の製作、来春に延期
東宝では九月中旬のヨーロッパ・ロケからクランク・インする予定だった「再会」(脚本菊島隆三、監督丸山誠治)の製作を来春に延期することになった。
これは中国人ピアニストの役で宝田明の相手をつとめることになっていたユー・ミンの出演が、彼女自身のスケジュールのつごうで不可能となったためで、二十八日夜キャセイの王・製作担当重役から突然そのむねの電話連絡を受けた田中プロデューサーはじめ東宝の関係者は、二十九日急きょ善後策を協議したもの。(略) なお、ユー・ミンの個人的スケジュールとは、キャセイでの出演のほかに挙式のことも含めているもようで、結婚後は引退するといっていたところから、今後は日本の作品に出ないことも考えられる。
(『日刊スポーツ』)

とあり、尤敏の結婚・引退が、いよいよ現実味を帯びてきたのでした。

(注)本作の企画自体はすでに1962年10月、尤敏が東宝の「砧まつり」(創立30周年記念)に出席するため来日していた折マスコミに発表されており、1962年10月18日付『日刊スポーツ』には、

 欧州を舞台に"メロ" ユーミン・宝田主演(題名未定)

なる見出しの記事が見えます。



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