にっぽんの台湾男星3


明けて1962年、林沖に再び舞台出演の機会が訪れました。
今度は日劇の3月公演、恒例の『春のおどり』です。
この中で、林沖は同じく台湾出身の女優である陳恵珠(東宝芸能学院で学び、帰国後、中央電影公司の専属女優に。その後再来日し、母校で教鞭をとる傍ら、テレビや映画に出演)と共に、京劇風の踊りを披露しました。
ただ、この舞台出演は急遽決まったものらしく、1962年2月28日付『報知新聞』掲載の全面広告には林沖の名前があるものの、上演時のパンフレットに彼の名は見えません。

これと同じ頃、念願だった映画への出演が、ようやく実現することになりました。
東宝と香港の電懋(キャセイ・オーガニゼーション)との合作映画『香港の星』です。
『週刊平凡』1962年3月7日号(「林沖、念願の映画出演に」)に、嬉しさを隠し切れない林沖のコメントが見えます。
少し長くなりますが、引用してみましょう。

「このままでは国(台湾)に帰れません」と、昨年四月来日してから、一本の日本映画にも出演できず嘆いていた林沖、ようやく念願かなって東宝の『香港の星』に出演が決まった。
林沖は昨年四月、「日本映画に出演して、先進国の技術を学びとろう」と、東映のすすめもあって来日、東映映画出演のチャンスを狙っていたが、これがトンとラチがあかず、「激励されて台湾をでてきたのに」としおれていた。ところが昨年九月東宝ミュージカルス『香港』に出演したのがチャンスとなり、テレビ『検事』の準レギュラー、この三月には日劇の『春の踊り』出演が決まった。
その矢先き、こんど東宝が再び尤敏主演で製作する『香港の星』に出演の話しがあり、留学生尤敏の学友として出演がきまった。「尤敏さんは知っています。あちらは香港、こちらは台湾、負けないようにがんばります。これでようやく母国にも錦をかざれます」と大喜び。

『香港の星』は、前年(1961年)に大当りをとった合作映画『香港の夜』に次ぐ第2弾として製作された作品で、主演は尤敏と宝田明、団令子。
林沖の役どころは、尤敏演じる王星〔王蓮〕の父・王椿伯(王引)の弟子・張英明。
東大病院で働きながら、日本で学ぶ星〔王蓮〕のお目付け役として時には彼女を叱咤激励し、最後は星〔王蓮〕の恋が成就するために力を貸すという設定でした。

余談になりますが、わたくしが最初に林沖の名を知ったのは、この映画によってでした。
2002年、本作が久しぶりに上映されたさいのパンフレット(『香港映画の黄金時代』。於:国際交流基金アジアセンター)には、林沖のことを香港の俳優のように記していましたので、そのときは香港の男優だとばかり思っていたのですが、劇中で彼の話す北京語に台湾訛りがあったことや、台湾の日本語世代が話すような日本語を話していたこと等もあり、自分なりに調べてみたところ、台湾出身でしかも日本に拠点を置いて活動をしていた男優であったことがわかったのでした。

さて、本作の公開は7月でしたが、同じ月にテレビでも、林沖が準主演で出たドラマ『海はそよ風』(NHK。小林千登勢主演。7月9日〜8月27日)の放映が始まりました。
映画にテレビに、林沖の活動の幅は、確実に広がり始めていました。



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