尤敏在日本2 (社長洋行記 正・続、香港の星) 参
1962年7月12日、尤敏は14日の『香港の星』初日舞台挨拶のため、ベルリン映画祭出席の帰途、来日しました。
14日、渋谷・新宿・日比谷の東宝封切館を順に回り、舞台挨拶をしましたが、どこも満員札止めの盛況で、前作『香港の夜』同様のヒットを記録しました(同時上映は、『日本一の若大将』)。
監督と共演は、前作と同じく千葉泰樹と宝田明、脚本は笠原良三です(ストーリーはこちら)。
『香港の夜』に続く第2弾ということで、今回、尤敏は日本で医学を学ぶ留学生を演じています。
前回の悲しい結末に続き、今回も二人は結ばれぬまま終わりますが、おそらくこの後、尤敏演じる王星〔王連〕は長谷川透(宝田明)を追ってアメリカへ行くであろうことを暗示している分、こちらの結末の方が、いくらか救いがあるかも知れません。
しかし、星〔王連〕と加那子(団令子)の譲り合いの精神(?)が、批評家氏にはいささか古くさく思えたらしく、
・・・・なかのいい女友だちが恋をゆずりあう、なんていうお話は、やはり古すぎます。それも、友人にも恋人にも、なにひとつほんとうの気持ちを伝えていな
いのです。うつくしい誤解、なんていうものではありません。発言しないで、相手の胸のうちを勝手に推察してしまうのでは、メロドラマの新しさもなにもあり
ません。(以下略)
(『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)
と、かなり点が辛いです。
が、今観ると、この譲り合い、むしろ床しく思えます。失われた美徳を見るような思いがしてしまうのです。
実は、『星星・月亮・太陽』で、尤敏が演じた朱蘭(阿蘭)も「譲る女」で、どこまでも他人のことを気遣った末に、自らは病に倒れて夭逝するという設定でした(臨終シーン、涙なくしては観られません)。
山川登美子の「それとなく紅き花みな友にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむ」という歌を思い出します。
そして、映画の内容に関しては辛口の批評家氏も、こと尤敏に関しては、
洋服、和服、中国服と、十数着も衣装をかえる尤敏の美しさはかくべつ。彼女の日本映画出演はこれで四本目ですが、カタコトだった日本語もうまくなり、英語、中国語とちゃんぽんに話すセリフは、衣装同様、なかなか魅力的です。(以下略)
(『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)
と、その魅力を称えています。
じっさい、この映画の尤敏は、本当に魅力的です。私が尤敏ファンになったのも、この映画を観てからでした。
とにかく、尤敏の魅力大爆発(なんのこっちゃ)の1本です。
ところで、この映画の終盤で、星〔王連〕の父の追悼ミサのシーンが出てきますが、尤敏は実生活でも敬虔なカトリック信者でした。
彼女の英文名のLucillaは、クリスチャンネームです。
もう一つ付け加えておくと、函館に「尤敏」(もちろん、ユーミンと読みます)という名のラーメン屋さんがあるのですが、この店名の由来が、どうやら『香港の星』で尤敏が札幌ラーメンを食べるシーンにあるらしいのです。
そのうち、偵察に行ってみたいと思っています(行ってきました〔2008年7月〕。レポートは、こちらとこちら。ついでに高崎にある「尤敏」にも行ってきました)。
付記:『香港の星』の難民診療所のシーン、待合室で女の子が歌っていた歌は『太湖船』という曲。1974年の東映映画『女必殺拳 危機一発』で倉田保昭が歌っていたのも、この曲です。
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